opening 2


「間に合いますかね……」
「手伝ってやってるのに間に合わないってどういうことだ!」
「こんなにも原稿が進まないのは貴方の度重なる追試の為に私が勉強を貴方に教えたからなのですが」
「あと何枚だ?!」

 冷房もなければ扇風機もない漫画研究会の部室。窓を開けても僅かに紙を揺らす程度の風しか入って来ず、三階という位置にある為暑さも一階と比べれば段違い。そんな中で漫画研究会の部長の本田菊は未だに下書きしか終わっていない原稿と戦っていた。
 切りそろえられた黒髪が少し鬱陶しいようで時折髪の毛を退かす仕草をしながら、ペンを走らせる。しかし今、黒曜石の瞳は目の前にいる金髪に薄青色の瞳、伊達眼鏡をつけた──アルフレッド・F・ジョーンズに注がれていた。
 手を止めて、少し呆れたように一つため息を零すと菊はねぇ、と追いつめるように一言呟いた。

「だから俺は部活休んで来てるんじゃないか!」
「知っています。それはありがたいことですが、私が貴方に費やした時間はそれ以上ですよ」
「分かってるよ!」

 拗ねたように大声をあげて、アルフレッドは止めていた手を再び動かし始めた。同学年なのだが、後輩を見るような視線を送る菊。同い年で自分よりも背が高く体格も良い彼なのだが、菊から見ればまだまだ子供だとふと思う。大きくても分からないこともある、それを菊は知っている。けれど、アルフレッドは知らない。だから教えて、守ってあげなければとアルフレッドよりも小さな菊は思うのだ。
 穏やかな笑みを薄らと浮かべて、菊もまた手を動かし始める。──と、その時。

「菊――! 来たぜ!」
「ホントにいらしてくれたんですね、ギルベルトさん」
「お前が呼んだんだろ!」
「覚えていますよ。冗談です。アントーニョさんとフランシスさんは?」

 勢いよく蒸し暑い漫画研究会の部屋の扉が開かれた。扉の向こうから現れたのは薄らと汗をかいているギルベルト。この暑い中に焦って来たのだろう、少し息をきらしている。
 菊がいつも一緒にいるはずの二人の所在を少し刺のある声で尋ねるとギルベルトは気まずそうに菊から視線をそらしながら言う。

「トーニョは帰宅部だから帰って、フランシスは生徒会だってよ」
「フランシスさんはともかく、アントーニョさんは本当に駄目な方ですね」

 にっこりと、夏の暑さを飛ばしてしまいそうなくらいに爽やかな笑みを浮かべてさらりと菊は言ってのけた。はは、と乾いた笑い声をギルベルトはあげる。

「ま、俺様が来たんだし! 大丈夫だろ?」
「困りましたね……。私は貴方がた三人の絡みが見たかったのですが。今描いている本の参考に」
「かえ……」

 嫌な予感は的中だったようだ。菊は言うなれば腐男子らしく、男同士がいちゃついているBLだとかも理解の範疇であるという。その為にモデルだの参考にしたいなどと理由をつけては、フランシスやアントーニョとカップルのような行為を迫られる。この頃は慣れて来た(慣れてしまった)のだが、やはり抵抗はある。
 ギルベルトは「帰る」と言葉を乗せようとしたようだが、菊が背を向いたギルベルトの首を掴んだが為に、それは叶わなかった。

「折角来たのですし、少し手伝ってもらえませんか?」
「あー、俺様ちょっと用事が」
「簡単なことですよ。これを生徒会室に届けて欲しいんです」
「え、お前ほんとの用事はこれなのか?」
「違いますよ。先ほども言ったでしょう。貴方がた三人が色々してる所を見たかったと。三人いないのなら意味はないでしょう? ですから、これ」

 ふふ、とキレイな笑顔を湛え菊は一枚の紙を差し出す。
 ギルベルトは再び菊と向かい合い、手渡された紙を眺め、少し苦い表情を零した。

「これ、アルフレッドに行ってもらえよ。それか、フランシスにでも頼んで……」
「今修羅場なんです。分かりますよね? それに私二年生ですし。フランシスさんとはそんなに会いませんので。時間の無い私の変わりにこれを提出して来て欲しいんです」

 ね? と愛らしく縋るような笑みを浮かべられては断りにくい。何より、いい加減にしなければとギルベルトも思っている。ギルベルトは紅玉の瞳を右往左往させてから、ため息を一つ。

「分かった。行って来る。生徒会長に渡したらいいんだな?」
「はい。お願いします」

 じゃあな、とギルベルトは入って来た時とは違い静かに扉を閉めて漫画研究会の部室を後にした。
 出て行って、菊が椅子に座るのと同時に暫く言葉を慎んでいたアルフレッドが声をあげる。

「なぁ! ギルベルトとアーサーは仲が悪いんじゃないのか?」
「悪くはありませんよ。ただ嫌いなだけでしょう」
「それ、仲が悪いって言うんだろ?」
「……それだけではないんですよ、アルフレッドさん。アーサーさんは臆病なんです、それだけです」
「ふーん。変な奴らだな! そっか、菊は切欠を与えたんだな!」
「切欠だなんて、大げさですよ。もうそろそろ良いんじゃないかと、私は思っただけです」

 ふーん、とアルフレッドはまた言う。菊が胸の奥に秘める考えを見つけ出そうとしているかのように。眼鏡越しの菊は童顔で筋肉はついているもののぱっと見は華奢。それでも、その胸の奥に誰も触れられないような繊細で気高い魂を秘めているような気がした。その中で導き出される答えをいつも、アルフレッドは予想することができないでいるのだが。
 けれど、一つだけ。一つだけ、アルフレッドは菊に誓っている。──誓うと言っても、勝手にアルフレッドが思っているだけなのだが。


『俺を好きにさせてやるからな!』


 と、声高々にアルフレッドは入学式の日に言ったのだ。ヒーローを目指す彼が誓いを守れないなど、あってはならない。だから、アルフレッドは菊を知ろうとする。だから、菊の胸の奥を知りたい。だから、考える。
本田菊とは、どんな人間なのかを。

「さて、頑張りましょうか」
「おう!」

 そうして、少しずつ、時間は経って行くのだった──。

Designed by TENKIYA