夢の少年


※史実とは関係ありません。







「あれは夢やったんや」

 青年は巨大な斧の柄を握る。戦況は劣悪。目の前には敵兵が数百、背後には守るべき兵士。隣には戦友。心には──。
 青年は刃が折り重なる戦に足を運ぶ、濃緑の瞳に殺意をこめて。手に込める力は獲物を倒す為にあり、そこに心を求めてはいけない。決して、甘美な夢にとりつかれてはいけない。青年は獣が獲物を狩るように乱暴に、それでも仕留め損ねることはなく、斧を振るった。夢を、薙ぎ払うように。


 少年は夢の中にいた。少し素直ではないけれど、人の優しさが分かる良い子だった。同じエメラルドの瞳は未来への希望で輝いていたのを覚えている。向日葵を見るようにいつも太陽のように≪誰か≫を見て、怒ったり、泣いたり、笑ったり。とても愛おしい夢。今思えば悪夢だったのだ。見てはいけなかった。

「良い夢見れたか?」
「何ゆうてるんや、糞眉毛」

 目が覚めて、目の前にいたのは少年ではなく、隻眼の青年。皮肉めいた言葉と共に降りかかって来たのは重い蹴りだった。伝わる痛みと、床の冷たさ。手首は後ろで鎖に繋がれ、足には枷、首には獣を御するように首輪がつけられ、その鎖は床の杭に伸びている。
 薄暗い地下室に青年は閉じ込められていた。太陽の光一つ届かない場所で、隻眼の青年と二人きり。同じエメラルド色の瞳同士が交錯し、殺気ばかりが巡り合わせられている。

「良い夢だったか?」
「オレの声聞こえんかったんか。何ゆうてるんや、屑」
「テメェのほうこそ声聞こえてねぇんじゃねぇの? ≪良い夢≫だったんだろ?」

 隻眼の青年は意地悪く笑う。そして、青年もふと微笑んだ。壊れてしまいそうな笑みだった。
 隻眼の青年は全て分かっている。≪良い夢≫の正体を。そして、その夢に青年が溺れていることも。戦場で呟いた言葉だけで全てが分かるはずがない。だとすれば、きっと隻眼の青年は少年を知っているということだ。

「あんなガキに溺れるなんざ、落ちたもんだな」
「あれは夢やったんや。オレは溺れてない。此処におる」
「ああ、心此処に在らず、だがな」

 青年の言葉は隻眼の少年へと向けたものではなく、自分に言い聞かせているようだった。そしてそれに答える隻眼の少年はいやに冷静だった。
 青年は濃緑の瞳を隻眼の少年へと向けて、言葉を発する。

「何するつもりなんや」
「まだ決めてねぇよ。まぁ、オレは紳士だから選ばせてやるよ」

 こんなことをする紳士がどこにいるかと吐き捨てたかったが、そんなことは言えない。きっと、天秤にかかっているのは自分と──少年だ。

「あのガキを潰すのと、テメェを奪うのどっちがいい?」
「どういう、意味や……」
「ガキを潰すってのはそのまんまの意味だよ。後者は、テメェがオレのものになりゃすむ話しだ」

 簡単だろう? と隻眼の少年は優しく残酷に微笑んだ。整った顔が憎らしいほどに、キレイな笑みを浮かべている。
 どちらを取るかなんて、決まっている。けれど、抵抗はある。青年は、夢の中の少年が──。心にあるのはいつも夢の中の少年。夢だと知りつつ手を伸ばした愚かな自分の手を取ってくれた、優しい少年。
 夢と分かっていても、心を囚われてしまうのは、きっと。

「……お前のもんに、なったる」
「それでいいんだよ。逃げようなんざ、思うなよ?」

 たった一つ見えている瞳が細められ、濃緑はさらに薄暗くなっている。分かっている、知っている。逃げたらきっと少年はなくなってしまう。
 満足そうに隻眼の少年は笑みを浮かべて、地下室を後にする。
 残された青年の中に渦巻くのは、どうしようもない愛情だった。
 夢だった。夢だと知っている。悪夢だった。けれど、それは本当は、現実で、少年が怒ったことも泣いたことも笑ったことも事実なのだ。そして、少年に恋心を抱いていたことも。親以上の愛情があったことも。全てが現実だというのに、青年はずっと否定していた。
 見てしまった夢はどうにもならないと言うのに、どうにかしようとして。迷い、疑念、諦念、愛情、人らしい感情があった為に捕まって、さらには弱みも握られて。こうなってしまったのだ。
 これは悪夢ではなくて、現実。
 少年は夢の存在はなく、現実に存在する愛しき人。
 伝えられる術もない、伝わってもいなかった。夢だと信じたその時から──

「好きなんや、ロマーノ」

 その言葉は深く長い夢に放りこまれたままだ。




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